プロフィール

ソプラノ 加治屋菜美子(かじやなみこ)

同志社女子大学学芸学部
音楽学科演奏専攻声楽コース卒業。

学内オペラ「フィガロの結婚」伯爵夫人役を演じる。
第23回京都芸術祭デビューコンサート、寝屋川フレッシュコンサートなど多数のコンサートに出演。
2010年、宇治市内の小学校にて芸術鑑賞会に参加。
2011年、京都国民文化祭にてオペラ「魔笛」クナーベIを演じる。

鈴木静一「比羅夫ユーカラ」でマンドリンオーケストラと共演。この公演がライブ録音される。
その他、ベートーヴェン「第九」、ヴィヴァルディ「グローリア」、フォーレ「レクイエム」のソプラノソリストを務める。
2012年、京田辺第九コンサートにてソプラノソリストの他、合唱指導にも携わる。また、多数の学校教育現場にて合唱指導に携わる。

京都の町家やカフェなどでコンサートを企画。クラシックを身近に感じられるプログラミングや場の一体感を生みだすMCにも定評がある。
お寺でクラシックコンサートを企画するテラの音クラシックコンサートにも積極的に参加。
これまでに小玉洋子、松下悦子の各氏に師事。
現在、京都の府立高校において非常勤講師を務める。





私は、小さい頃から好奇心旺盛で、いろんな事にチャレンジするのですが、
それなりの成果が出たところで他の事に興味が移ってしまう…

そんなことを繰り返す子供でした。

中学に入り、私の興味は音楽に。
吹奏楽部に入部しホルンを吹き始めました。

一緒に入部した同級生はその半数以上が楽器経験者で、
私のような未経験者はたったの3人。

ぶぉ~ぶぉ~とイビキのような音を鳴らしながら、 練習の毎日を過ごしました。

吹奏楽部といえば夏のコンクール。

同級生達は次々に合奏に参加し、 コンクール出場権を獲得していきます。

私はというと…

合奏に参加する許可すらもらえず。
合奏中は楽器も持たず、ひたすら指揮者に注意された事を楽譜に書き留めていました。

ふと気付くと、私と同じく未経験で入部した子達も、
合奏に参加して先輩と楽しそうに演奏していました。

一年目の夏は結局、全部員の中で唯一私だけコンクールには出場できませんでした。
コンクール当日は、楽器運搬と舞台袖でみんなを見守るのが私の役目。

懸命に演奏する部員達の姿を舞台袖からただ見つめるしかなかった私は、
この時生まれて初めて『悔しい』という感情を知りました。

腹の底からとめどなく湧き上がってくるその感情が、
あっという間に私の全身を支配していくのが分かりました。

何の苦労も知らなかった12歳の私は、
その夜布団の中で声を殺して泣き続けました。

それが人生で初めて味わった挫折です。


その日から年月を重ね、高校3年生の春。

猛練習の甲斐もあり上達したホルンに情熱の全てを注いていた私は、
卒業後の進路を深く考えることもなく部活動にあけくれていました。

進路については「まぁ何とかなるやろ…」といった甘い考え。

1度目の挫折であれほど悔しい思いをしたのに、
もうすっかり忘れてしまっている私。

案の定、どこの大学にも受からず浪人決定。

これが2度目の挫折を味わうきっかけであり、
その後の人生を大きく変える出来事でもありました。


現役のときの受験では、何となく「音楽やめたくないな~」という思いで、
音楽教育が学べる大学を選び受験することにしました。

実技試験は、唯一今からでもギリギリ間に合うと言われた「声楽」を選択しました。

結局、受験日までに声楽の実力を合格レベルまで持っていくことができず、
受験はあえなく失敗。

しかしながら受験に向けた猛特訓の中で、
私は“声楽”の強烈な魅力に憑りつかれ始めていました。


浪人すると決めた時、
同時に私は音楽教育ではなく「声楽」を専攻する道を選択し、
「声楽」の世界で生きていく覚悟も決めました。


そして一年間の猛勉強と猛特訓を経て、
親の猛反対を無理やり押し切って、
同志社女子大学音楽学科声楽コースを受験。

見事に合格することができました。


入学後に待っていたのは、本当に充実した毎日でした。

歌の練習にあけくれ、
オペラのDVDをたくさん観て、
思う存分に“音大生”を満喫していました。


そんな毎日が充実の中にあった音大生活の中でも、
惨めで、はがゆくて、情けなくて、悔しくて…
歯をくいしばって泣いたこともありました。

日々の努力で少しは成長していると思っていた私でしたが、それは大きな勘違い。

そんな私のつけ上がって浮ついた気持ちなんて、
師匠にはすぐに見透かされてしまいます。

オペラの授業で決まった私の配役をお伝えした時の師匠の言葉は今でも鮮明に覚えています。

強めの語気と低めのトーンで、「あんたにアリアを歌う資格はない」と一言。

深く胸に突き刺さる言葉でした。

「声楽の世界はそんなに甘くない」そう言われた気がしました。


そうやって厳しくも充実した日々を過ごした大学も卒業の時を迎えて、
私はいよいよひとりの声楽家としてスタートを切ることとなりました。

でも、いざ世の中に出てみると、私の歌を聴いてくれる人なんて誰もいません。

当然ながら歌の仕事などあるはずもありません。

ただただ、不安で、不安で、不安で…

だからといって、すぐにどうにかなる問題でもありません。


師匠のところに相談に行くも、「歌を続けるのは考え直した方がいい」と言われてしまいました。


その瞬間、頭の中が真っ白になり、
今自分がどんな感情なのかを理解することもできず、
ただひたすらに涙を流しながら帰宅しました。

その夜はお風呂の中でひとり三角座りをしながら、
「まだ私は大丈夫。まだ頑張れる。もうちょっとの辛抱や…」と、
呪文のように独り言を繰り返していました。


今振り返ると、

この時はそうやって自分で自分に無理やりにでも暗示をかけることで、
もう一度立ち上がり声楽の世界で闘っていくためのエネルギーを、
必死になって掻き集めていたんだと思います。


自分で歩むと決めた道から外れる事なんて、私には想像すらできなかったから。


そして三角座りで呪文を唱えたあの時から、
死に物狂いで声楽を学び練習しました。

元来、何をやらしても“超”が3つ付くほど不器用な私です。

エエ格好するのはやめにして、
どれだけ無様でも必死になって喰らいついていきました。


そして桜が三度満開を数えたころ、


師匠が直々に、私にお仕事をくださったのです。


それで慢心するわけではないですけど、
少しは師匠に認めてもらえたような気がして素直に嬉しかったです。


でも、これまでの音楽人生を思い返してみても、
歌をうたっていて「やったー!最高だー!」などと、
心底満足できた経験などありません。


とあるピアノの先生はこう仰っていました。

「音楽ってこれっといった正解はなくて、私たちは正解のないものを追い求めながら、常に自分と向き合っているのよ。」


まさにその通りだと思います。

おそらくは一生かけて音楽を突き詰めても、
これという正解に辿りつくことはないんだと思います。


でも、それで良いんだと思います。

いやむしろ、それこそが音楽の魅力なのかも知れませんね。


私の音楽人生は、多くの挫折や失敗を糧としながら紡がれてきたものですが、

今なお、心から満足できる歌を演奏できたことはありません。

だから私はこの先もずっと歌と付き合い、一生かけて学び続けていくつもりです。


「歌はいきもの」

私の師匠がよく口にする言葉です。

だから、私はその時々の自分を、ありのまま歌にのせて表現していきたいと思います。


私は歌うことが大好きです。

この先いくつになっても歌とともに人生を歩んでいきたいと思います。


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